8月6日を想う(その3)。
未曾有の惨事から70年を迎えた2015年。
広島では、8月5日と6日に、初めて『ピースナイター』という企画が行われました。
どのような企画かと言いますと、「70年前の被爆の記憶を、次世代に継承する使命を果たしたい」という想いから、Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島での広島-阪神戦で行われた企画でした。
この日のカープのユニフォームは、胸に「PEACE(ピース)」の文字、背中には選手名の代わりに「HIROSHIMA」、帽子には平和の象徴「白いハト」があしらわれており、8月6日を意識し、選手、監督、コーチ全員が86番の背番号をつけて戦いました。
この日は阪神側のファンの方々も協力してくださり、トランペット、太鼓などの鳴り物入りの応援は自粛された試合でした。
先発は薮田という選手で、おばあちゃんが原爆症で入院していたそうです。
薮田投手は1軍戦ではマツダスタジアム初登板ということもあって、かなりプレッシャーのかかる登板だったと思います。
そのせいもあってか、薮田選手は4点を取られてしまい、6回で降板となってしまいました。
逆転できるチャンスはたくさんあったと思いますが、結果として、カープはタイガースに8-2で負けてしまいました。
この試合を見ていたファンの方々や、戦った選手達もきっと悔しかったと思います。
この日ばかりは勝ってくれという期待が大きすぎたのかもしれません。
それでもカープを作り上げてくださった方々や、今はもうおられない方々も、きっとこの企画をとても喜んでくださっていると、私は思います。
私の祖母のお話ですが、祖母は野球のルールも全く知らないのに、いつも子供の私に「今日はカープは勝ったんかいのぉ。」と聞いていました。
「いや、今日も負けたよ。」と言っても、祖母は「あっ、ほーかいのー。」と、苦笑いをしていました。
原爆から広島が復興していく過程で、広島カープの設立は、それだけ広島復興のとても大切な一つだったんだなぁと、私は強く感じています。
試合に負けはしましたが、カープを作り上げてくださった先人の方々、そして募金などをしてくださった皆様は、とても喜んでくださっているのではないかと思います。
そして、相手の阪神の応援団の方々にも感謝をしたいと思います。
その人たちの思いにこたえるためにも、私たちは幸せでいなければいけないと思う、今日この頃です。



