熱中症について
梅雨が明けてからは、急に気温も上昇し、熱中症の方が急増します。7月下旬から8月上旬にかけて、新聞の紙面も熱中症の記事が毎年多くなります。熱中症の分類、原因はいろいろありますが、やはり、急激な気温の上昇に体が順応できないことが主因とされています。皆様もよくご存じだと思いますが、分類してみると、
- Ⅰ度:熱けいれん 急な発汗で体内のナトリウムなどが減少し、筋肉ガぴくぴくと小さなけいれんを起こします。
- Ⅱ度:脳内にある、体温調節の中枢が正常に働かなりはじめ、けいれん、嘔吐、頭痛、意味不明の言動などが起こり、誰が見ても、これはおかしいと感じます。
- Ⅲ度:体温調節中枢が機能しなくなり、意識消失、けいれん、41度以上の体温があり、どんなに冷やしても簡単には体温はさがらず、生命の効きが迫っている状況になります。
さて、熱中症には私自身が実際に集団発生した現場に呼ばれ、とても困った大変苦い思い出があります。この現実の話を読まれて、熱中症の怖さを理解していただければと思います。
たぶん、2007年9月19日 午後0時30分ごろだったでしょうか。校医をしていたある小学校から、小院に電話がありました。「運動会の合同練習中に倒れる子が出てきて、救急車を呼んだが、間に合わないぐらい倒れる子が多く、学校へ来て欲しい。」との電話でした。
この日は水曜日でちょうど午後休診で、すぐに保健室に駆けつけました。まさに戦場でした。保健室にはベッドは2つしかなく、そこに寝ている子以外に、床に10人ぐらいの子が寝かされていました。そして、テーブルにはイオン飲料やお茶のペットボトルが、5-6本置かれており、養護の先生が懸命に水分を摂取するようにしていたことがわかりました。まだ、保健室の入り口には入りきれな10数人の子供が座り込んでいました。緑の服を着た救急隊員が呆然と立ち尽くしており、「こりゃ、大変なことになっているな。。」とその光景を見て直感しました。
救急隊の人に「バイタル(体温、脈拍、呼吸数などのことです)はどうですか?」と聞いても混乱して測れない状態でした。ここはもう保健室ではなくなっていると実感しました。
先ずは熱中症の治療としては、風通しの良い、涼しいところで、体を休め、水分を取るのが最良の治療だと思います。ただ、小学校で私が知りえる限りでは、当時クーラーがあるのは保健室と校長室だけでした。
けいれんを起こした子は一人いましたが(その子は体温も38度あり、熱中症では、「熱疲労」(今は熱中症のⅡ度と分類されます。嘔吐や、頭痛があり、意識も、もうろうとします)の状況で、養護の先生が素早く、救急搬送してくださり、病院で治療を受け、すぐに回復しました。もし搬送しなかったら、「熱射病」(今のⅢ度で、解熱せず、意識もなくなり、最悪の状況となります)となっていたかもしれません。
あとの子たちは、私が見る限り体温を測ってもらいましたが、37度程度であまり高くなく、「熱けいれん」(今の分類のⅠ度で足のこむら返りなどがあります)から「熱疲労」の状態で、さほど重症には見えませんでしたが、水分を自分でとれるか取れないかをめやすにし、取れない子はすべて病院で治療を受けてもらおうと決めました。
今でこそ、熱中症は多くの方が知る病態となりましたが、今から7年前には、こんな病態もあるぞ というぐらいしか認知されてなかったと思います。その当時の、私の知識では急に「熱けいれん」から、10分もせずに「熱射病」になること珍しくないと考えていましたし、現在でも熱中症で命を落とす人が新聞などで報道されています。本当にばかにできない病態ですね。
とくに梅雨明けから8月に入るまでは、体も暑さに慣れておらず、熱中症が多発する時期となります。地球温暖化はすすみ、クーラーに頼る生活も多くなると思いますが、熱中症にはくれぐれもご注意下さい。
さて、ここからは余談ですが、まだあまり、熱中症が知られてない2007年に56人を数か所の救急病院に救急搬送していただき、 ご迷惑をおかけしました。
決して、救急車をタクシー代わりに使ったわけではないのですが、球急隊の方からは「たったこれぐらいで救急車をたくさん使って、今広島に大地震などの災害が起こったらどうするつもりか」「近くの開業の先生に点滴してもらえばいいじゃないか」などの発言があり、胸をさされましたが、小学校の先生方は、とても迅速に父兄の方に連絡を取っていただき、働いているご両親が多い中、病院に迎えに行っていただきました。本当にありがとうございます。そして、熱中症のあまり知られてない7年前でも苦情はなかったそうで、胸をなでおろしています。
幸い、救急病院であれば、電解質などの検査が即時にでき、大きな異常を示す児童もおらず、また、病院に着くなり吐き気はなくなり、水分摂取もでき診察だけで終わった児童もおり、事なきを得ました。
夕方には児童は帰宅し、各救急病院の先生方にお礼の電話をさせていただいたところ、どの先生もこころよくお話しいただき、感謝の念に堪えません。
ただ、養護の先生、校長先生には膨大な事後処理の書類作成があったそうで、(学校に救急車を呼ぶと、その顛末などを報告する義務があるそうです。)こちらの先生方にも感謝の気持ちでいっぱいです。
もう、この小学校の校医はやめていますが、夏になり、熱中症の記事が新聞に載り始めると心の痛む今日この頃です。



