恩師 山田光胤 先生
大正、昭和、平成と日本の漢方界は、大塚、藤平、矢数 の3先生方や、第2次大戦で亡くなられた多くの先生方のご努力で、現代では、保健収載される漢方薬も多くなり、薬局で買わなくても、健康保険を使って、診療所で処方できるものも多くなりました。
風邪の初期によく使われる「葛根湯」などもその一つです。
大塚先生の直弟子で、漢方界の重鎮であられる山田光胤先生に直接患者さんを診療する手技や処方を、お教え頂いた弟子の医師の集まりで「山友会」という会があります。すなわち、患者さんにも許しを得て、山田先生の行われた、腹診、舌診、脈診を、じかに見学させて頂き、先生が診察された後に、同じように腹診、脈診をさせて頂き、いわゆる先生の技(わざ)を教えていただきました。そして、先生が処方された薬と自分が考えた処方の違いを考えて、診察室に入れてもらっている2-3人と診療後に、ディスカッションし、本を読んで勉強していきます。完全に師匠の秘伝を公開して頂いて、その上、解説をして頂くこともあります。茶道、華道、柔術、料理などと同じように多くの師弟関係は、弟子が師匠のお手伝いをしながら、師匠の秘伝を勉強していく厳しい関係があると思います。
刀鍛冶の世界では、お湯の温度を知ろうとそのお湯にやけど覚悟で弟子が手を入れているところを、師匠に見つかると、破門どころか、その手を切り落とされてしまったそうです。
約100人余りの山友会の会員がいます。北は北海道、南は沖縄まで会員がおります。十年以上も大分県から毎週土曜日に東京まで山田先生に教えを受けに通われている先生もおられます。山田先生は「出来るだけ早く、こんなに人助けになる漢方を多くの人に知ってもらいたいし、医者は忙しいので西洋医学と漢方医学の2足のわらじを履いて勉強するのも大変だろうと、秘伝を教えているのだよ。」とよくおっしゃられていました。
ご自身も幼少期に結核性の腹膜炎にかかり、東京の有名な大学病院を何軒も受診したそうですが、どうしても、治らなかったそうです。その大学病院の先生方も何とかこのお子さんを(山田先生のことです)良くしようといろいろな治療をして下さったと、子供ながらに熱意が伝わってきたそうです。
そのためか、山田先生は今の西洋医学を全く受け入れられないようなことはなく、有名な大学病院から紹介された難治の患者さんにも真摯な態度で向き合われておられました。
山田先生のお父様が、大塚敬節先生に受診を乞い、2-3年はかかりましたが、いろいろな漢方薬を内服されました。そして、治癒され旧制中学を卒業され、陸軍士官学校まで進まれた経験をおもちで、どれだけ逞しくなられたかがわかります。漢方の素晴らしさを広めたく、2人の息子さんも医師となり、漢方診療をされておられます。
不肖な私も山田先生の師匠である大塚先生の処方された漢方薬を小学校1-4年と東京から送ってもらい、苦い煎じ薬を飲み紫斑性腎炎が治りました。広島にも、もっと漢方を広めたいのですが、山田先生の足元にも及びません。
約2年間先生に漢方を教わり、平成2年に帰広したのですが、送別会まで開いて頂き、「赤尾君は、「免許」うーん、そうだな、半伝だね。広島に帰ったら、大塚先生の本をよく読みなさいよ!」と勉強不足をたしなめていただき、ありがたいお言葉を頂戴しました。ちなみに免許皆伝は「山友会」の中でも、2人の先生しか知りません。本当に漢方は奥が深く、難解ですが、多くの先生が勉強され、どんどん広がり、患者さんの苦しみを少しでも楽にしてあげられるように、努力しているつもりですので、どうぞ漢方薬をご希望の方は、お気軽に相談してくださいね。



