「8月に思うこと」
8月も終わり新学期がスタートするシーズンになりましたね。
8月といえば広島市では3回ほど1分間の黙祷を促すサイレンが鳴ります。
1回目は8月6日8時15分広島に原爆が投下された日時です。2回目は8月9日11時2分長崎に同じく原爆の投下された日時です。そして8月15日12時には終戦記念日としてサイレンが鳴らされます。この時は甲子園の高校球児たちも、試合を中断して帽子をとって1分間の黙祷してくれますね。
そしてこの3日は、テレビでもいろいろな特別番組が放送されています。
今年は8月6日が日曜日だったためか、特別番組が少ないように思いました。ただ日付が変わって8月7日の0時55分から放送された「NNNドキュメント4,400人が暮らした町-吉川晃司の原点-ヒロシマ平和公園」にはとても感銘を受けました。ミュージシャンの吉川晃司さんは皆様もご存知と思いますが広島出身で実家は吉川旅館という原爆ドームのすぐそばにある大きな旅館だったそうです。
今年リニューアルされた原爆資料館をナビゲーターとして吉川さんが紹介してくれました。コンピューターグラフィックで放映されている原爆直前の広島と原爆投下直後の広島の街は吉川さんも驚くばかりのもので、声も出ないと言ったところでしょうか。唖然とされておられました。
51歳の吉川さんは、「広島は自分の原点であり、歳を重ねるごとにその思いは深くなっていきます。皆さんはこの平和公園が、広島の繁華街だったことをご存じですか?私も小学性の頃は知りませんでした。」と話されていました。
私も吉川さんと同じ被爆2世ですが、恥ずかしながら、平和公園が、原爆投下前に4400人、1200所帯の広島一の繁華街だったことを知りませんでした。
原爆投下により一瞬にして吹き飛ばされた繁華街には、今の原爆ドームの鉄筋がわずかに残っただけだったそうです。
学童疎開で難を逃れた81歳になられる吉川さんのお父様とともに平和公園を望める「折り鶴タワー」から、原爆ドームの対岸にあった吉川旅館のあたりを親子で眺められている姿には、胸に迫るものがありました。
吉川さんのお父様は原爆については多くを語られないそうで、50代になってその気持ちが分かってきたそうです。ただ、吉川さんがこの世に生まれてこられたのも、お父様がおられ、おじい様おばあ様のつくられた吉川旅館がこの広島にあったからです。広島は私の原点そのものです。と語されておられました。
どんなことがあろうとも、こんな悲惨なことは、2度と起こしてはいけないという気持ちがますます強くなる、とても立派なドキュメンタリー番組だったと思います。



